番組改編期

今期色々見てきて面白かったのは、月草さんもブログに書いていましたが、CLANNADとらドラ!ですね。
それと、タイタニアも飽きずに見られました。
まだ終わっていないけど、期待はずれだったのはWhite Albumですね。
監督が悪いのか演出が悪いのか、いや、脚本も悪いのかな。表現に素人臭さが漂う作品です。
登場人物に全く感情移入できん。。。
それに比べてCLANNADとらドラ!は毎週が最終回みたいな展開で引きが強く、とても感動できる作品でした!!
両作品ともとても愛のある物語だと思いました。最高っす!CLANNADは人生とらドラ!は青春って感じです!
とらドラでは、みのりんが好きだったけど、最終回に近づくにつれ大河の可愛さが見えてきて、二人とも好きになってしまいました!w
CLANNADは原作プレイ済で既に話は知っているはずなのに、京アニの魅せ方にやられ号泣。トイレに駆け込むことに。
最後の方の話を見ていて、地球少女アルジュナを思い出しました。自分と世界は一つだ、みたいな。
人々の思いが人々を助け、そして元気な世界を作るんだよね。


ネットで、CLANNADの解釈が書かれているみたい(殆ど読んでないけど・・・)なので、僕の解釈とか認識も書いときます。
まず、全てのエピソードはパラレルワールドになっている。智代のエピソードも、幸村先生のエピソードも、杏のエピソードも。
そして、幻想世界とは、町の意識が具現化した世界(亜空間)。これは現実世界に重なっている。
幻想世界と現実世界の時間的な関連性はない。テレビでは一緒に進んでいるみたいに描かれていたけど、あれは物語の便宜上。
幻想世界と現実世界の境が一番曖昧なのが、病院の建った空き地。何故かは不明。
渚は昔、この空き地で町の思いの力に命を救われている。空き地は願いが叶う場所である。
その時に町の意識とリンクして幻想世界での全ての出来事を(意識的にではないが)知る。
演劇の時点で、幻想世界での全ての出来事を渚が知っているのはそのため(幻想世界での汐が最後にだんご大家族を歌うことさえも知ってる)。
町の気持ちに助けられた時に、町の受ける影響を一緒に受けるようになった(ウルトラマンみたいに町のパワーを貰ったのかな?)。
幻想世界の女の子は汐。ロボットは朋也。幻想世界の少女がロボットの事を「パパ」と呼んだ点から。
なぜか朋也は現実世界と幻想世界にともに形をもって存在している。
町と繋がっている渚から生まれた汐も町の影響を受け易い。
そのため、汐は死んでから幻想世界(町の意識)の中を彷徨うことになる。幻想世界の少女は汐が少し成長した姿である(テレビ版で小さい汐と大きい汐の声が結構違うけど、そこは成長によるものとしますw)。
そして、幻想世界の話の終わりに汐は町の意識そのものになる。
町の意識である汐の母親を救いたいという願いが、奇跡の力となって一つの次元の渚の命を救う。
だから、時間的には、汐の死ぬ世界(=渚の死ぬ世界)が先行して→幻想世界→渚の死なない世界の順になる(もちろん時間的な関連性はないので、現実にどれが先ってのはない)。
逆に、それぞれのエピソードで生じた光の玉=現実世界の人々のポジティヴな気持ちが幻想世界で死に掛けていた汐を助けた(町の意識になる前の汐を)。
最後に、現実世界に幻想世界からサルベージされた汐が出現する。
テレビ版のサイドストーリーの最初に木の下に寝てる女の子が、幻想世界の汐。
(因みに、テレビ版のあの画面は、ゲーム版の最初の画面を模したものだが、そこで使われているBGMのタイトルは「汐」である)


沢山書いていたら整合性がなくなってきた気がします。逃げも兼ねて、とりあえずここでやめますw
テレビ版は、ゲームと違った解釈の下に作られている可能性もありますから、僕が考えたゲーム版のクラナドとは違った構造をしているかもです。


最後に、秀逸だったとらドラ!のMADを2本。



これらのMADを見ると、しみじみしてしまいますね。
こういう感じに皆で盛り上がって、作品の価値が共有された作品こそが名作になり得るんでしょうね。


本当に最後
AZURE Toy-Box : ALTER 1/8 長門有希 制服Ver.
この長門、ちょおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお可愛くね??