魔女の宅急便考察 part.2
魔女の宅急便 (1) (アニメージュコミックスペシャル―フィルムコミック)
- 作者: 角野栄子,宮崎駿
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1989/08
- メディア: コミック
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>>part.1はこちら
<キキについて>
前述の通り、キキは今を生きる少女達と何ら変わるところはない。そのキキが親元を離れ、自立していく様子をさながら現代風に描くことで、人は沢山の人に支えられ、紆余曲折を経て、自立していくものだということを、宮崎駿監督は伝えようとしている。
<ジジについて>
Ⅰ.ジジの存在意義
作中でジジはキキの自我の一部を投影したキャラクターとして描かれている。
ジジは色々な場面で、キキと反対の意見を口にしたり、非常に現実的で冷めた返答をしたりする。例えば、貨物列車から海を見てキキは「すごーい、始めて。」という台詞を言うが、ジジは「なんだぁ。ただの水溜りじゃないか。」と言っている。また、港町に着いたときにキキは「私こんな町に住みたかったの。」と言うのに対し、ジジは「でも、もう他の魔女がいるかもしれないよ。」と返している。
これはジジが思春期の少女の思考を補っているからだ、と考えられる。
思春期というのは多感な時期である。
その時期の少女が感じているのは、単に表に現した感情だけはない。もちろん大人になっても自分が言ったことと別の考えを持っていることはあるが、それは意図的に出さないのであって、思春期の頃のように気持ちの整理がつかず、自分が冷めた思考をしているのかすらも良く分からないのとは異なる。
キキは大抵、すごいものを見たら「すごい!」、きれいな人を見たら「キレイ!」だと言う。
しかし、その裏に「大したことないな。」、「何気取ってるんだ。」と感じていることもあるのだ。
そして、それを感じていることを彼女自身はちゃんと分かっていない。
そのような、多感な、気持ちの安定しない年頃を表現するためにジジという黒猫にキキという人格の一部を表現する役割を与えたのだろう。
Ⅱ.ジジはなぜ言葉を失ったのか
作品の終盤に、キキはトンボと海へ行く。
そこでキキはトンボと楽しそうに会話をするが、途中でトンボの友達が割って入ってきて、「飛行船の中を見せてくれるって。」とトンボを誘う。
これにトンボが乗ってしまったためにキキは怒って帰ってしまう。
ここは、キキはトンボが好き、しかしトンボは空への憧れから、空が飛べるキキを追いかけているに過ぎないという、両者のスタンスの違いを示す重要なシーンであるが、このシーン以降ジジは言葉を失ってしまう。
それはなぜだろう。おそらく、このシーンをきっかけに、キキが自分の気持ちの整理に乗り出すようになったからではないだろうか。
キキは今まで疑問にも思わなかった、心の中の矛盾(例えば、トンボのことが好きなのに、憎んでしまうような)について考えるようになった。
ジジに代弁させていた心の中の良く分からない部分と向き合うようになった。
それによって、ジジにその部分の代弁をさせる必要がなくなったのだと考えられる。
自立するには明確な意思を持たなければいけないから、キキはジジが言葉を失った頃から本格的に精神的な自立に向かい始めたのだろう。
最後魔法が使えるようになって、ジジがキキの肩に乗ったときに、やはり言葉を失っているにも関わらず、キキが納得していたのは、自分の気持ちについて考えた結果、ジジの言っていたことは実は自分の中に常に存在していた気持ちだということに気づいたからである。
つまり、ジジが言葉を発しなくても、自分の中にある気持ちとして、ジジの言いたいことを理解することが出来るようになったからではないだろうか。
part.3へ続く。
part.3で終わりです。