スクイズ擁護

誠

昨日のスクールデイズ最終話の放送を受けて、各所で賛否両論の論評がなされていますね。某掲示版にあった書き込み等を読ませて頂きましたが、


>>作った奴どうしようもねぇな
>>制作者は狂っている


等の書き込みが多かったのが非常に残念です。
果たしてそうなんでしょうか?どうしようもない?狂ってる?
僕は制作サイドはむしろ非常に重い責任をもって作品を作ってくれていると思いますし、このような作品にしてくれた事に感謝しています。
登場人物達の奇行を描いた事に対しての意見だと思うのですが、むしろあれだけ徹底的にやったからこそ見ている人間に命の重みを感じさせる事に成功したのではないでしょうか?
もっとソフトに描く事もできるだろうしそちらの方が制作も楽だと思いますが、もしそう描いていたら誠が死んだ時きっと誠ざまぁwwwとかヤッホーイ!とかいう声が吹き荒れたと思います。全員一致で「悪の権化伊藤誠は成敗された!良かった良かった!」で終わり、今回のように意見が分かれる事もなかったでしょう。
そう終わらせずに、嫌いで嫌いで仕方ない伊藤誠の死でさえ「よくよく考えてみたらここまではしなくて良かったんじゃないの?」と僕らに感じさせてくれているのは、憎しみと虚しさ、気違いじみた登場人物の行動をスタッフが丁寧に拾い描いてくれたからだと思います。
「どうしようもねぇ」というような意見が生まれてきている事が逆に、作品が単なる勧善懲悪もので終わらずに、視聴者に倫理や人の死について再考させる事に成功した事を表していると思います。
そして、そのように皆に考えさせる事が作品に一層の深みを持たせてくれています。作品に対して視聴者が嫌悪感を抱くような演出は、スタッフがそれを意図して敢えて選択しているのだと思えてなりません。視聴者を満足させるだけの目的なら、あそこまでやる必要はないんですから
作品に対してどん引きしていいと思いますし、気違い作品だと思ってくれて結構です。しかし、制作サイドを馬鹿にするのはやめて欲しい。作品=制作者の人間性と捉えるのは早計に過ぎます。
制作サイドの実際の考えは分からないので推測の域は出ませんが、きっと「思いっきり誠を痛めつけて視聴者を喜ばせてやろうぜw」等という安易な考えの下に制作している訳ではないと思いますよ。
また、このような描写をする事が世間の反感を買いアニメを潰すと思われている方もいると思いますが、それは制作サイドに文句を言うのではなく、マスコミ等の何ら客観的な証拠も提示せず、現実の事件とアニメの間に因果関係が存在するかのように世間に報道し、アニメが事件を誘発しているものだと市民に刷り込まんとする姿勢を批判して下さい。
スクイズみたいなアニメを作って放送すること自体に問題はありません。加入制で更に年齢制限を課しているAT-X、もしくは試写会でしか見られないのですから、意図せずに見て不快感を感じる人が出ないように十分配慮しています。


僕はスクイズはアニメの限界に挑戦し、これまでのアニメの限界を超えてくれた作品だと思います。
アニメでは人の死だとか生命に関わるような問題について、制作者側のメッセージとしてに伝える事はできても、真剣に(少なくとも実写よりは)考えさせる事は無理なんじゃないかと感じていました。リアルな死は描けないのではないかと思っていました。しかし、スクイズを観てそれが可能だという事を感じることができました。今までのものはアニメだからできなかった訳ではないことに気付かせてもらいました。
それだけでも大きな収穫です。スタッフの方々にはとても感謝しています。